このコンサートがどれほど感動的で、聴きに来た多くの人々に勇気と、明るく生きる力を与えてくれるものだったかは、すでに多くの人がネット上でも語っていますが、私も全く同じ思いです。本当にこの時期、よく来てくれました。
当日の出来について少しだけ付け加えるならば、この日のドミンゴは非常に調子も良かったと思います。それは単に声の伸びがよいとか、そういう次元では全くありません。艶やかに保たれた濃い声、弱音までコントロールされた情感あふれる歌。おじいちゃんとは思えぬ男の色気。若々しさ。類稀なエンターテイナーぶり。すべてが素晴らしかった。共演のソプラノ、ヴァージニア・トーラ、ユージン・コーン指揮日本フィル、彼ら全部が、ドミンゴの暖かいオーラに包まれているようでした。
改めて生でドミンゴの歌を聴いて思ったのは、彼はひとつの歌の中に、必ず何か輝かしい場所を作ることができる。その頂点が全体を照らしている。そういう歌作りをしているんじゃないか。もうひとつは、声のピアニシモが非常に美しいということ。サントリーホールだから余計そう感じたのかもしれませんが、PAを使ったアリーナコンサートや映像では決してわからないような、消え入るような声まで、すべて表現のダイナミクスに入っている。あのような歌を歌える人は、素晴らしく耳のいい人です。
前半はヴェルディのオテロ、シモン・ボッカネグラ、ルーナ伯爵、リゴレットといった役柄を歌いましたが、どれもこれも、音楽とドラマの深い融合であり、いまのドミンゴにしかできない、深化した歌でした。ルーナやリゴレットは、全幕上演だったらきっとテノールを食ってしまうかもしれないと思うほどの「情け」のようなものが伝わってきました。そして、オテロの消え入るような終わり方! 何と音楽的であったことか。息を詰めてドミンゴのため息ひとつ逃すまいと聴いているうちに、「これが生でドミンゴのオテロを聴く最後になるかもしれない」という感慨に打たれずにはおれませんでした。
後半のウィンナ・オペレッタ中心のプログラムも感銘を受けました。つらい時代にオペレッタはすごい力を発揮するものなのですね。「メリー・ウィドウ」の「唇は語らずとも」をドミンゴが歌いだしたとき、震災と原発事故に苦しむいまの日本のことを考え合わせて、涙が止まらなくなりました。日本はいま、不安と緊張の中で、みんな知らず知らずのうちに「無理」と「我慢」をしている。そこに遠い過去からのなつかしいあの歌が、優しく琴線に触れてくる…。アンコールの「ふるさと」や「グラナダ」(全く衰えなし!)ではもう興奮のるつぼでした。ホールの全ての人が、ドミンゴに感謝していたと思います。
この日の解説プログラムにも少し触れましたが、やはりドミンゴは神に祝福された人であり、その使命を自覚している人であり、太陽のように人々を明るく幸せにすることのできる人だと思います。私自身、ドミンゴがいなかったらここまでオペラを好きになっていたかどうか。それくらい彼のすべてに影響を受けています。恩人のようにさえ感じています。そのドミンゴに勇気づけられて、この日から私は震災・原発事故とその影響がどうなろうと、強く明るく生きられるという気持ちを取り戻すことができた。
どうかいつまでも、ドミンゴが元気でいてくれますように!