MET来日公演が終わり、少し仕事が一段落すると、すぐに私は福島県いわき市に出かけました(ひと月ほど前のことになりますが)。「いわき芸術文化交流館アリオス」の取材のためです。
公演が終わったら、福島県に行かなければいけない。何となくですが、直観的にそう思っていたのです。アリオスに行くことは、自分なりのボランティア、応援のつもりでした。
以下、いわき市沿岸で津波の被害を受けた場所の写真を(古い携帯の、あまり鮮明でない写真で申し訳ありませんが)少しだけご紹介します。アリオスのスタッフに連れて行ってもらいました。
いわき市岩間の海岸。津波の破壊力でコンクリート護岸が砕かれています。テトラポッドが一斉に押し寄せてきたからでしょうか。付近の集落一帯は壊滅的な状況。写真の奥の方まで、全部焼け跡のようでした。
まだ片付いていない瓦礫の中に、炊飯器が砂に埋もれていました。
小さな女の子が暮らしていたのでしょうか。こうして写真を撮れるのは、津波からある程度時間が経過したからです。被災直後は、瓦礫の山の中、家族との思い出の品を探す人々がたくさんいて、精神的にもとても写真を撮れる状況ではなかったそうです。
瓦礫の野を実際に歩くと、そこに「声」がかすかに聞こえるような気がしました。物理的には聞こえていなくとも、そこに確かに暮らしていた人たちの「声」が、平穏な生活を砕かれた人たちの「声」が、そこにはこだましていました。
この「声」が聞こえてきたとき、私は初めて、自分の感情が激しく動揺するのを感じました。いまも耳の奥に残っています。あの「声」を思い出すたびに、冷静ではいられなくなります。足を運んで、実際に現場を見るということは、実は聞くということでもあったのだと初めて実感しました。忘れようにも忘れられません。
ちなみに、もう少し補足しておきますと、津波の被害を受けていないところは、道路一本隔てれば全部日常のままでした。一見町は平静を取り戻し、コンビニは営業しており、田んぼも畑もまぶしいくらいの緑でした。
いわき市は里山がどこまでも続く、とても美しいところです。きれいな流れの川があちこちにあり、ここで採れた農作物やお魚は、どれほど美味しいだろうかと思いました。ここが放射能で汚染されているとはとても信じがたいし、信じたくもありません。
福島原発から30キロほどの海岸近くの通りでは、幼稚園バスが走っているのを見ました。首都圏からすれば、原発30キロだなんてどれほど危険だろうと思われるかもしれませんが、そこには、ごくごく普通の暮らしがありました。一部の子供たちを除いて、マスクさえしていない人がほとんどでした。
ただ、町中には何十枚もの「絶対復興するぞ」「がんばっぺ」という手書きの張り紙を見ました。表面上は普通でも、間違いなく強いストレスがかかっている証拠です。それが首都圏との大きな違いでした。
私は、福島県の人々のことを、なるべく自分のことのように考えたいと思って、今回足を運びました。子供の頃から、林間学校も、スキーも、温泉も、しょっちゅう福島県でしたから。とても近い、お隣さんなのです。
もちろん、1日や2日行って見て回ったくらいでは、そこに住んでいる人の気持ちは、津波の被害を受けた人の気持ちは、ほんのわずかしか理解できないでしょう。それでも、とにかく足を運んで、少しでも見て、聞いて、感じて、考えたかった。
いわきアリオスのチーフプロデューサー児玉真さんと、音楽プロデューサー足立優司さんへのインタヴューは、私の番組「カフェフィガロ」でお聞きいただけますので、いわき市の状況、現地での文化活動状況や今後のことなど、詳しくは、そちらをご試聴くだされば幸いです。