あまりにもショッキングな公演。直前の仕事が長引かなかったのでぎりぎりに駆けつけることができたのですが、本当にラッキーでした。
ウィスペルウェイという名手については、これまでもこのブログで何度か触れてきたのですが、正眼の構えをとる剣豪みたいなチェリスト。正面に構えたチェロは微動だにせず、とてつもない気を発する。
今日もウィスペルウェイは、彼特有の凝集力で、ブリテンのこの難曲を完全に把握し、ねじふせ、可能な限り、音楽の闇と深みにおりて行った。熾烈な、スケールの大きな演奏。客席のこちらにまで、音が吹っ飛んでくるほど実在感のある音。
その表情は、たとえば第1番の「マルチア」という楽章では、前衛的なまでに「音の現象」と化し、「これは本当に行進曲風なのか?」と思わせるほど。伝統的形式にのっとっているにもかかわらず、下手な実験音楽などよりも余程過激な、異形の妙音が展開されていました。
それは、個人の内面に深く入っていく音楽であったと同時に、どこか遠方からやってきる外部からの不吉な呼び声のような、神秘的な音楽でもありました。第2番のアンダンテ楽章のピチカート、第3番の冒頭など、無伴奏であるにもかかわらず、「別のもの」「別の意志」(それは必ずしも親愛な声ではない)の存在を怖いくらいに感じさせました。そういうものが、「チャッコーナ」のようにバロック的に優美でありながら不気味な影を宿し歪んだ舞曲(英国的とも言える)と隣り合っている。何と言う恐ろしい組曲たち!
各曲の前にはウィスペルウェイのちょっとした演奏を交えての解説がありましたが、おそらくいくつかのことをどうしても伝えたかったのだと解釈しました。組曲を一気に演奏するけれども、実はどれも極めて構成的に書かれているということ、伝統を踏まえながらもユニークな創意にあふれているということ、声楽やピアノとの関連までが盛り込まれ、チェロがなしうることの極限まで追求しようとした、野心的な作品であるということ。
ちなみに、私の隣にいた人は、前半ぐっすり寝ていました。そして後半はいませんでした。第1番が終わった後、あからさまに不快感をあらわにして、会場を後にしていった人も見ました。残念ながら寝息も聞こえました。しかし、真の美というものは、あまりに不吉で裸形のラディカルな形をとったとき、違和感こそが正直な反応であり、そのような反応で迎えられることもあるのは仕方ありません。
第3番の「バルカローラ」は、あたかもゴンドラに乗りながらの水面のゆらめきを思わせる妖美な演奏でした。ウィスペルウェイも言っていましたが、ここはブリテンのオペラ「ヴェニスに死す」との関連が認められるのかもしれません。最後の「パッサカリア」は、私の聞き間違いでなければ、ウィスペルウェイは「レクイエム」のようだと言っていました。舟歌の耽美的な世界が、生きようとする者をあざ笑う霊のようなレチタティーヴォと激烈なプレストを経て、痛々しくも厳粛な歌(エリザベス朝音楽風でもある)、いっときの街の楽しい雰囲気を経て(ここは演劇的でもある、語り部の外にある他者を思わせる部分)、黄泉の世界へと導かれ、消えていく…。
バッハの無伴奏組曲が、舞踊音楽の抽象化・思索化であったとすれば、ブリテンの無伴奏組曲は、さまざまな音の世界をたった1本のチェロの表現で行ってしまうばかりか、映像的なまでに物語の世界も凝縮し取り込んでいる音楽だと言えます。
それにしても、まったく何と言う恐るべき作曲家であることか!ベンジャミン・ブリテンという人は!