来日したばかりのアレクセイ・リュビモフへインタヴューを行いました。その全文をここに公開します。ロシア・ピアニズムの最重要人物であるのみならず、20世紀ロシア音楽史に関して、貴重な証言を得ることができました。来日公演(12月6日、8日)の直前ですが、ご参考にしていただけますと幸いです。(以下全文)
来日公演(すみだトリフォニーホール)詳細はこちら
――まず、日本がこういう困難な状況の中、いらしてくださってありがとうございました。
リュビモフ:私を招聘してくださったエージェントには感謝しています。私は日本は4、5回目なのですが、寺神戸亮さんとレ・ボレアドとモーツァルト・プログラムを演奏したのが2004年でしたし、1990年代にも日本のオーケストラと共演させていただきました。
――いまから12,3年前にウストヴォルスカヤ・プロのリサイタルを聴かせていただいて、それ以来ずっとリサイタルを心待ちにしておりました。
リュビモフ:そうでした、東京で現代音楽だけのプログラムを2,3回やったことがありました。私はウストヴォルスカヤの作品はとてもたくさん弾いていると思います。すごく独創的です。今回もソナタを演奏します。
――ロシア・アヴァンギャルド・プログラム(12月6日)のコンセプトについてご説明いただけますか? 西側とロシアの前衛の違いも含めてお願いします。
リュビモフ:アヴァンギャルドといいますか、ロシアの20世紀音楽というプログラムでもあります。ロシア音楽のアヴァンギャルドは、形式的ではないということが言えると思います。ロシアの20世紀の作曲家たちは、確かにヨーロッパ前衛の語法を取り入れたのですが、それは「どういった音の構造で曲を書くか」ということだと思うのです。ロシアのアヴァンギャルドは、そういう形式的なことではなくて、もっと宇宙的な空間を生み出す、そしてもっと自分の独特の語法にこだわらずに、もっと大きな世界を表す。それがロシアのアヴァンギャルドだと思います。逆に西側のアヴァンギャルドの作曲家からすれば、ロシアのアヴァンギャルド音楽は、あまりアヴァンギャルドではないととらえられてしまうかもしれません。ロシアのアヴァンギャルドはあまり抽象的ではない。どんなに複雑な作品であっても、心が感じたものを表現しようというのがロシアのアヴァンギャルドではないかと思います。
――西ヨーロッパよりも、ロシアのアヴァンギャルドの方が、日本に近いような気がしますね。
リュビモフ:たぶん、おっしゃる通りだと思います。たとえば武満徹や黛敏郎のような世代の作曲家は、西側のもっとも複雑な作曲技法を取り入れながらも、自分たちの伝統を作品に残していると思うのです。たとえば私は日本の作曲家の作品を聴くと、ああ日本の作品だとすぐにわかるのです。それと同じようにロシアの現代作品を聴いて、ロシアを感じ取ってくださるのだと思います。たとえば作曲家が音楽を聴いていて、この人の音楽がどこから来たのかわかる方が、興味深いと思うのです。たとえばブーレーズやシュトックハウゼンの音楽を聴いても、それが片方がフランスでもう片方がドイツだということは、あまりわからないですよね。やはり背景がわかる作曲家の方が、聴き手には面白いんじゃないかという気がします。
――第二次大戦が終わった直後に、日本に12音技法が本格的にやってきて、それまで伝統的な歌をのびのびと書いていたある作曲家が、これからは知的で難解な音楽を書かなければいけないのかと思い、ノイローゼになったと聞いたことがあります。ロシアではどうだったのですか?
リュビモフ:ロシアでは30年代から50年代にかけては、ご存じのようにスターリンの粛清時代ですが、西洋音楽の新しいものは、まったく禁止され、情報も入ってこなかったのです。50年代後半になってようやく情報が少しずつ入ってくるようになりまして、そういった新しい作曲技法があるのだということを、我々は知りました。シェーンベルクとか12音技法の存在をロシアの音楽家たちが知ったとき、「ロシアの現代音楽はいかに遅れているか」ということに驚愕したのです。そして「早くそれを取り入れなければいけない」と思った。それが60年代から70年代にかけてです。おそらく、ショックを受けてノイローゼになってしまったのは、伝統的なものに固執していた音楽家たちでしょう。でも、ヴォルコンスキーとかシュニトケのような人たちは、12音技法のようなものをいち早く取り入れようとしました。伝統保守派と、新しいものを取り入れようとした人々との間で、摩擦があったのは確かです。しかし彼らは、新しい作曲技法が知的で高いレヴェルにあるということを理解し、いち早くそれを取り入れたのですが、同時にその限界を悟り、いち早くそれを放棄した人たちでもあるのです。
――リュビモフさんご自身は、そういった新しい音楽を取り入れたのは、ロシアのピアニストの中では早かったのではないですか?
リュビモフ:若い人の中では私は早かったでしょう。私にとってのお手本はマリア・ユージナというピアニストで、彼女は確か1895年生まれだったと思うのですが(リュビモフの発言ママ)、1960年代にすでに60歳を超えていましたが、すでにヴェーベルン、バルトーク、ストラヴィンスキー、ヴォルコンスキーといった作曲家の作品を公開の場でいち早く演奏していました。しかも彼女はシュトックハウゼンやブーレーズとも個人的に付き合いがあったのです。私はまだそのころ15歳くらいだったのですが、彼女から影響を受けまして(別に先生ではなかったですが)、それから今日に至るという感じです。
――シュトックハウゼンやブーレーズをやる人が、ベートーヴェンやシューベルトを演奏するときは、何か豊かなものが反映されるのかもしれませんね。
リュビモフ:70年代に私はヴェーベルンやシュトックハウゼンを弾き始めましたが、そのときにモーツァルトをもっと違った風に演奏できるということに気が付きました。現代作品を弾くときは、すごく正確でなければならず、細かい音の在り方まで見ずして演奏することはできません。そういったことが現代音楽によって培われて、他の音楽を弾くときも、より分析が細かくなって、より知的になっていったのではないかと思います。単に感情的な部分でとらえるのではなく。特に今の時代の演奏家は、多くの時代の様式の作曲家を知れば知るほど、演奏が豊かになっていくのではないかと思います。
――リュビモフさんはアルテナチーヴァという現代音楽祭のプロデュースをなさいましたが、生きている作曲家、付き合いのあった作曲家からの影響についてお教えください。
リュビモフ:ロシアの現代音楽ですか?欧米の現代音楽ですか?
――主にロシアですが、どちらでも。
リュビモフ:私は音楽祭を始めたのは1983年が第1回だったのですが、その20年前から現代音楽は弾いていたのです。そのころから哲学的な意味で影響を受けたのはシュトックハウゼン、そしてジョン・ケージです。特にケージからは美学と哲学において大きな影響を受けています。あとはスティーヴ・ライヒ。個人的な付き合いの中で、という意味では、今回はとりあげませんがマルティノフ。それからシルヴェストロフとウストヴォルスカヤですね。彼らは個人的にも親しい友人であり、大きな影響を受けた人たちです。そのほかには伝統を持っている各国の音楽に大きな影響を受けています。最近は日本の雅楽をよく聴いて、影響を受けています。70年代はロック・ミュージックにも影響されましたし、世界の民族音楽もよく聴いています。
――70年代のロックって、どんなものをお聴きになったのですか?
リュビモフ:英国のプログレッシヴ・ロックですね。キング・クリムゾン、ピンク・フロイド、ジェントル・ジャイアント、それからジェネシス、イエス。
――いまおっしゃったバンドは全部私の好きなものばかりです。
リュビモフ:(笑)若いころはそれほどロックに興味はなかったのですが、35歳ごろから興味を持つようになりました。私の学生たちは、いま名前を挙げた英国のロック・グループに興味を持っているようです。たぶん60年代、70年代、それから80年代くらいまでは、ロックの古典時代です。そのあとのロックはまったく姿を変えてしまった。
――おっしゃる通りですね(笑)。さて、ここまでお話をうかがったなかでも、興味深い名前がたくさん上がっていますし、一人一人についてうかがいたいのは山々なのですが、時間がないので、二人だけ挙げさせてください。シルヴェストロフとウストヴォルスカヤ。この二人の作曲家についてリュビモフさんのお考えをお聞かせ願えますか。
リュビモフ:はい。ではウストヴォルスカヤから行きましょう。
――ショスタコーヴィチの恋人なのですか?
リュビモフ:違うと思いますよ。いや、わからないですが(笑)。ただ、ショスタコーヴィチがプロポーズしたことは確かです。ウストヴォルスカヤはそれを拒絶した。少なくとも彼は彼女を一時期愛していた。でも彼女はすごく複雑な女性で、どういうトラウマがあったのかはわからないですけれど、若いころは非常に美しい人だったのですが、不幸なことが続いた人生でした。
ウストヴォルスカヤはショスタコーヴィチの一番弟子のような人でしたが、師匠の影響がみられる作品は、一つか二つくらいしかないのです。すでに若いころショスタコーヴィチの影響から離れてしまっていて、ユニークな存在だったと思います。当時のロシアの若い作曲家たちは、ほとんどがショスタコーヴィチの影響を受けていたと思います。そういった意味ではウストヴォルスカヤは独特な存在だった。そのために彼女の作品はほとんど日の目をみなかったのです。
インタヴューでショスタコーヴィチについて聞かれることも多かったようですが、話したがらなかったですね。ショスタコーヴィチのレッスンについてすら話したがらなかった。彼女はショスタコーヴィチの音楽について「間違った道を行っている」と言っていました。「正直ではない」「誠実ではない」「安っぽい」という言い方もしていました。
ウストヴォルスカヤ自身、閉鎖的な性格で自分のこともあまり話したがらなかったし、不幸な境遇が続いてレニングラードから出ることもほとんどありませんでした。ただ、彼女は2006年に亡くなっていますが、最後の10年はオランダやドイツで取り上げられるようになりました。それでも彼女は演奏家とあまりうまく付き合えませんでした。あまりに厳格だったからです。彼女はとにかくシンプルに、力強く演奏することを求めていました。
ウストヴォルスカヤの作品はコントラストが非常にある音楽で、フォルテが4つも並んでいたかと思うと極端なピアニシモがあったり、白か黒か、という感じなんですね。無調ですし、感情的というよりは理知的な作曲家だったと思います。そうでありながら、その中に彼女の深い人間性が感じられるのです。シルヴェストロフが彼女の音楽についてうまい言い方をしているんですが、彼女の音楽は、あたかも「通りで全裸で立っていながら“私のことを見ないで”と叫んでいるような」そういう音楽なのです。彼女の音楽は誰しもが衝撃を受ける音楽ですが、どこか客観的な側面がある。激しい、確固としたものなのですが。
シルヴェストロフはまったく正反対。抒情的です。彼はドラマティックでもあるのですが、やはりポエジーのある、柔らかなニュアンスを出す作曲家です。乱暴さというのはまったくなく、どちらかというとドビュッシー、ヴェーベルン、もっといえばショパン。そういったものの流れを受け継いでいると思います。彼はいまでもキエフに住んでいます。よくお付き合いしていますが、最近8年ほどは小品ばかりを書いています。特に奥さんを亡くしてからは、大曲を書かなくなりました。かつては7曲の交響曲、レクイエム、ソナタ、弦楽四重奏曲も書いていますが。人間的にいうと、機知に富んでいて、他の作曲家についてもすごく面白い言い回しをするのです。こちらが考えてもいないような。自分の作品についても面白い言い回しをしますね。明るくて開放的で、他人に対しても光を照らすような、そういう人です。
――シルヴェストロフは、ショパンやブラームスのようにメランコリックな曲を書く人なので、何か悲しみを抱えている人なのかと思っていました。
リュビモフ:確かに96年に奥さんを亡くしたのは彼にとって一番の悲劇だったと思いますが、それ以前から彼の音楽にはメランコリックなところがありましたから、それは彼のおそらく本質なのでしょう。それが何から由来するかというと、おそらくロシア音楽の伝統だと思います。それと彼はすごく繊細な人なのです。禅のように、何かを感じ取ると、それがすぐに作品にシンボリックに反映される。そういう作曲家です。ただ、いま挙げた二人の作曲家については、60歳、70歳となれば人生経験によって作品も変わると思います。私にしても、今日と二か月後とでは、お話しすることはまったく違うかもしれない。ですからメランコリーというのも一つの側面ですけれど、作曲家というのは日々変わっていくものです。一番重要なのは、彼はこういう人だという烙印を押さないことです。
――今回はシューベルトを演奏してくださいますが、なぜシューベルトなのですか?
リュビモフ:まずは招へい元からの依頼でした(笑)。もちろんシューベルトは私のもっとも好きな作曲家のひとりで、依頼されればいつでも喜んで演奏します。
――CDではフォルテピアノを演奏されていましたが、今回はモダンピアノでの演奏です。解釈はかなり違ってくるのですか?
リュビモフ:どちらの楽器を演奏するにしても、共通のコンセプトというのはあります。ただ、楽器が私にこのように弾けと命じる、そういう要素もあります。シューベルトの時代の楽器の方が、音色に関して、よりたくさんの可能性を秘めていたような感じがします。コントラストとしては少ないですが、4つのペダルがあり、音色もいろいろと変化させられましたから。当時の楽器のそういう機能が、モダンピアノに残されていないのは大きな損失だと思います。
――フォルテピアノの音を聴くと、重さは足りない分、夢の中から響いてくるような印象を持ちますが…。
リュビモフ:もちろん現代の楽器に比べては音量は小さいですが、どうでしょう。確かに響きの点では遠くから聴こえてくるというのはあるかもしれません。軽いわけでは決してないと思います。音の遠近感は、昔のフォルテピアノの方があると思います。たとえば…(と近くにあったピアノを弾く。内部の弦を直接指で押さえて)、こうしなければいまのピアノでは出せない音色の変化が、当時のフォルテピアノでは出すことができたわけです。
――日本では能や雅楽をご覧になるそうですね。川端康成を愛読されているとか?
リュビモフ:ええ。ぜひ鎌倉に行ってみたいですね。私は伝統的なものが好きですが、いろんな時代のものが好きで、20世紀の日本文学もロシア語に翻訳されたものは川端康成に限らず、芥川龍之介なども読みました。でも何より好きなのは芭蕉に始まる日本の俳句です。日本の文学、音楽はもちろん、美術も北斎の絵など大好きです。これからももっと知りたいのです。
――芸術全体で、リュビモフさんの根っこにあるものは何でしょうか。
リュビモフ:ロシアの文学作品ではプーシキン、ゴーゴリ、それからレスコフ。この3人ですね。レスコフは世界的にはあまり知られていないかもしれませんが。音楽では…もしかしたら不思議に思われるかもしれませんが、一番大事な作曲家はストラヴィンスキーです。チャイコフスキーでもラフマニノフでもなく。それから禅も大切に思っています。変な言い方ですが、私は自分のことをピアニストだとは思っていません。ピアニストはピアノを弾く人ですが、私は文化全体に携わっている人間なのです。
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