そもそも、最初にブログを書き始めたのが2005年11月だから(アドレスを引っ越す前の話)、なんと6年もブログを書いている計算になる。
最初のころに戻って思い出してみると、コメント欄にコメントが初めてついたときは、それはうれしかったものだ。これまでの雑誌などにはなかった、読者との直接的なコミュニケーションには、ブログのメディアとしての新たな可能性さえ感じたものだ。だが、コメント欄に誠実に返事をしていくうちに、いささか疲れを覚えるようになった。
これはツイッターでも同じことなのだが、相手の顔も名前も性別も年齢もわからないのに、礼儀を尽くして答えるというのは、ストレスを感じるものである。なかには完全に上から目線の、高圧的な言葉が飛んでくることもある。そんなとき、相手の素性がわからないのは、実に不気味なものである。
名前とか顔とか、どうだっていいじゃない、という考え方もある。プライバシーだから隠したいという気持ちもわかる。だが、コミュニケーションの基本として、私はやはり相手の顔をしっかり見たいと思う。顔が見せられないのなら、身体の一部分だけでも素敵に見せてほしいと思う。いけないことだろうか?
それでもツイッターがいささか安心できるのは、その人のタイムラインを見ると、顔以上に、言葉の連なりによって、その人の人間性が如実に反映されているのがみてとれるからである。第一、実名のようにみせかけて、他人の顔写真を使うことなど造作もないわけだから、ツイッターでは写真よりも発された言葉の方が信用できるという気もする。
最近はフェイスブックも始めるようになったが、これも便利な反面、大きな問題を感じる。まず、個人情報をあんなに入力してしまっていいのだろうか、という疑問である。タダ同然でやすやすと手に入れた個人情報を、運営者はどのように管理しているのだろうか。誕生日や出身校や勤務先や家族構成など、顔写真と同じくらい超重要な個人情報なのだが、どう利用されるのか心配になってしまう。そこにはやはり抵抗感がある。
それから「友達」の問題。私はフェイスブックを開始して、「友達」とは何だろうかという問題に、すぐにつまづいてしまった。私が決めたのは、直接付き合いのある人、ないしは仕事を通じて明らかに知っている人、以外はフェイスブックにおける「友達」とはみなさない、ということである。あくまで仕事のための連絡ツールとして限定的に使うことにした。「友達」が書いたものに、たまに「いいね!」を押す程度のことしか最近はしていない。おそらくフェイスブックで最も可能性があるのはファンページを作ることだろうが、それを積極的にやって、果たしてフリーランスの自分の仕事に本当にプラスになるのか、まだ確信が持てずにいる。
林田さん、こんにちは。体調はいかがですか。少し回復なさいましたか?私は一ヵ月間パソコンを修理に出していたのですが、昨日パソコンが直って、怒涛のような情報量を一日で整理して、結局、今の自分に一番必要だと実感した記事は、林田さんの今回のブログの記事だけでした。私の場合は何年もインターネットを使ってきて、「あ、素敵な人だなぁ」と思う人がいても、現実の人間関係で連絡を取り合うに至った人はほとんどいないも同然です。というわけで、私の場合、どんなに真剣にソーシャルメディアに取り組んでも現実の人間関係には繋がらないということを経験として学んだので、もうたとえどんなに魅力的な文章を見つけても、この人といつか現実でどうとかは考えないです。ただ、インターネットのおかげで、元々ある現実の人間関係は良くなった気がします。それが最近の私にとって唯一の救いです。
投稿情報: 春の雪 | 2012年1 月17日 (火) 09:24