真冬の夕暮れ時に、ふと池の水面を見つめたくなる。
平日でも気が向くと、池のある場所に出かけて行って、冷たく暗い水面を見に行く。
そこに、静かな音楽が感じられるから。
都会のど真ん中でも、意外にきれいな池はあるものだ。
この写真は、新宿御苑の玉藻池というところで撮った。江戸時代からある古い池で、かなり神秘的な場所である。
こういう場所にいると、自然の偉大さを身近に感じることができて、とても元気になれる。
1月14日土曜日には、新国立劇場中劇場で上演された、東京オペラ・プロデュースによるプロコフィエフの歌劇「修道院での結婚」日本初演を観に行った。全員日本人キャスト、スタッフによるロシア語原語上演初日。記念すべき瞬間に立ち会うことができて、うれしかった。
このオペラを観て痛感したのは、プロコフィエフの喜劇センスの豊かさである。特に後半で修道院の坊主たちが大勢出てきて、泥酔しながら宴会を繰り広げたり、カネで買収されたりするシーンは、笑いをかみ殺すのが大変であった。あのシーンはほとんどグレゴリオ聖歌の下品で極端なパロディであって、教皇庁が見たらカンカンになって怒り出すこと間違いなしだ。
もちろんプロコフィエフは無神論的な共産党政権のソ連でこのオペラを書いたわけで、しかもコケにしたのはカトリックだから、テーマとしても「おとがめなし」なのだろう。「おとがめなし」の安全なテーマにのっとって、プロコフィエフはこれでもかと権威をコケにし、笑いのめすパロディ的な喜劇を作り上げた。その毒は強烈である。そして、あのハチャメチャな泥酔ぶり、破滅的なギャグのセンスこそロシアなのだと思った。
「修道院での結婚」はイタリア・オペラの典型的な結婚喜劇の枠組みを踏襲している。「ファルスタッフ」や「ジャンニ・スキッキ」ともどこか似ていて――愛する若い者どうしが結ばれること、財産をまんまと手にすることの喜び、老いた者が器の大きさを見せて若い者を認めること――といった共通点が見られる。プロコフィエフがどれほどイタリアの伝統にも深く学んでいたかがうかがわれたのも興味深いことであった。
今回の上演にはとても元気をもらった。腹の底から笑いたくなる瞬間をくれたからだ。人生は暗く、死もまた暗いのかもしれないが、私たちがすてきに笑った瞬間、それらの暗さにいっとき勝利することができるのだと思う。
水面に映る空を見るのが好きです。
本当の空と、自分の足元に広がる空と、その真ん中に浮かぶ自分。
自分をつつみこむ上下前後左右の空間を夢想してわくわくします。
写真の水面、空と、空に向かって伸びる木々が映ってますね。
「修道院での結婚」、なかなか興味深い作品のようですね。
日本でよく上演されるオペラですらまだあまり観たことのない私ですが、
「舞台」系のものはやはりとても気になります。
人生が暗いかどうかは私にははっきりわかりませんが、
暗闇があるからこそ、光もあるのだろう、と思ったりも。
投稿情報: えんどう | 2012年1 月17日 (火) 20:17